今月のひとこと 「生き抜く力は息ぬく力」

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新着情報

浄財勧募のお願い

天正9年(1581年)浦(乃美)宗勝公により開基、430年の歴史を持ち現住職で28代となります。現本堂は昭和30年に改修されましたが瓦については以前のものを使用、老朽化が進み雨漏りや床下ではシロアリの被害もみられます。
このようなことから「大改修実行委員会」を立ち上げ様々な方面から検討、審議の結果大改修を行うことになりました。つきましては御多端の折恐縮ではごさいますが、本堂大改修にあたり皆様の御懇志を賜りたく伏してお願い申しあげます。詳細は「浄財勧募」のページをごらんください。

勝運寺とは

浦宗勝の菩提寺

山門 勝運寺は元亀元年(1570年)に草創し天正9年(1581年)に完成。安芸郡矢野の新興寺六世(現在廃寺)の以天圭穆和尚を請待し開山とする。現住職、井上節堂が28世になります。
山号翫月山(がんげつざん)、小早川氏の一族であり主流の親戚筋にあたり水軍の海賊衆、 浦(乃美)宗勝の菩提寺として土を起こした曹洞宗の寺です。
当寺院には浦宗勝公の墓や、小早川隆景が文禄の役に際して弾薬を詰めて浦宗勝に贈った軍用櫃(市重要文化財)や以天圭穆和尚が当地に赴く際に使用した籠(同)が残されています。 また山門、中門と門が二つあるつくりや、城郭を思わせる石垣など特徴的な外観を持っています。
春には桜が見事で山の中腹に淡い色が霞む風景は忠海の春の風物といえましょう。自由に参加できる毎週の参禅会や、特に海外の観光客にも好評の坐禅体験のようなプログラムもあります。

勝運寺とその周辺、ゆかりの人々

神宮寺

床浦神社西端にあり本尊毘沙門天と観世音菩薩、両脇は恵比寿天と大黒天。神宮寺屋敷と昔は云われ真言宗の寺で天正のころ当寺の抱地となる。寛永年に浅野因幡守殿により再建したが明治御一新の御制度により廃寺となり仏像法器総て当寺へ引き取り本堂西間に安置しております。

得船水

得船水昔の当寺はどの地を掘るも水は沸出せず、故に前住得船老和尚、天保十年の頃石川県金沢城下の大乗寺より当寺へ隠居となりました。境内に水が無い事に嘆き十七日間新井戸の前で禅を組み祈誓すると、大徳を感じ清水が満々と湧き出しました。幾百日の日照りがあっても水滅する事が無く実に得船老師の大徳であります。

鎮守社

金比羅権現、秋葉権現、稲荷明神三社は寛政年間の頃、当寺の東山の峰に有り当時右社地の論寺と人民間に起こり争論中当神社一夜の中に当寺西山に飛来り其の不可思議なることを感じ神官及び人民信者中より本社を建立し鎮座せしものなり。

平山郁夫画伯と高橋玄洋先生

古い写真平山郁夫画伯は旧制中学の修道中学の時、原爆に遭い当寺本堂の隅をカーテンで囲い下宿をして忠海中学(旧)に通ってしました。当寺の27世龍山の家庭教師も兼ねていました。進学するにあたり叔父の南山の勧めで東京芸大を希望し、その為の絵を描いています。その時に描いたのが「勝運寺の竹」であります。東京芸大に進んだ後は高橋玄洋氏が下宿をしております。高橋玄洋氏は脚本家で古のドラマ「あんたがたどこさ」は当寺がモデルとも云われております。平成3年の浦(乃美)宗勝公400年大遠忌には当寺に両氏とも参詣しております。
写真は勝運寺での記念写真。前列向かって右端平山郁夫画伯、同左端高橋玄洋先生。前列中央は27世住職。昭和22年撮影

平山郁夫画伯左の写真は平成3年、当寺で開催された「浦宗勝400年祭」でのスナップです。

勝運寺の竹左の写真は平山郁夫画伯が勝運寺下宿時代に描いた「勝運寺の竹」です。
現在は尾道市瀬戸田町の「平山郁夫美術館」に所蔵されています。

勝運寺へのアクセス

所在地等

〒729-2314 竹原市忠海床浦二丁目10-1
JR呉線 忠海駅より徒歩10分程度
電話番号:0846-26-0880
FAX:0846-26-2335
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